古墳

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場所

金山古墳

古墳 | 大阪府 | 観光する

金山古墳は葛城山地西麓と富田林市南方に連なる丘陵との間にはさまれた東西約1㎞、南北約3㎞の台地上をなす谷の最奥部に位置しています。付近の地形を見ると、南東から北西に向かって舌状に張り出した小尾根を利用して築かれているのがわかります。 付近の標高は130mあり、墳丘上から北方約10㎞にある古市古墳群や遠く六甲山の山並を望むことができ、絶好の立地条件と言えるでしょう。墳丘は大小二つの円丘を連接させた形に築かれ、墳長は85.8mで北丘の直径は38.6mで二段重ね、南丘の直径は55.4mで三段重ねの円丘で、墳丘周囲は双円形の濠をめぐらせたわが国ではきわめて例の少ない、双円墳です。石棺の形や出土遺物などから、6世紀末から7世紀初めに築かれたものと考えられます。

場所

仁徳天皇陵

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大阪府堺市の町並みの中、忽然と姿を現す公園のように木々が茂った場所に、日本最大の古墳である仁徳天皇陵があります、仁徳天皇陵は世界三大墳墓の一つであることから、日本が世界に誇れる文化遺産でもあります。ちなみに他はエジプトにあるギザのクフ王のピラミッド・中国の秦の始皇帝陵となっています。墳丘(土が盛ってある部分)の全長は486mでこの長さは、三大墳墓の中で最も大きいものとなっています。その形は、あまりの大きさに空から見ないとわからないのですが、円墳(円形の墳丘)と帆立型の墳丘があわさって、ちょうど鍵の形をした前方後円墳という種類になります。その墳丘の周りには三重にもわたる水が張った濠(ほり)がぐるりと囲っていて、まるで敵からの侵入を守っている城のような、また人を寄せ付けない神秘的なイメージを醸し出しています。ここに埋められていた人は誰なのか、現在もはっきりとはわかっておりません。ただ、前方後円墳という形の古墳を作ることが許されるのは、かなり身分が高い人であること、そしてこれだけの大きさの古墳を作るには、想像を超える人と時間が必要なことから、当時日本の国を治めていた大王と呼ばれる位の人間だろうと考えられ、それが第16代天皇である「仁徳天皇」ではないかとされているのです。この壮大な古墳もそうですが、そこに埋められた副葬品と呼ばれる死者と一緒に埋められる品々の中に、金メッキを施した甲冑が見つかっていて、これは当時の最先端技術でそれを持つことができる人物は天皇クラスの身分の高い人しか持てなかっただろうということも明らかになっています。それ以外にも約15,000体にも及ぶ埴輪や、古墳の周り寄り添うようにして作られた小さめの古墳(培塚:ばいづか)が19基あり、そこからも様々な副葬品が見つかっています。

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