城・城下町

1-3件目 / 3

萩城跡
場所

萩城跡・萩城城下町

城・城下町 | 山口県 | 観光する

1600年の関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は、中国8か国から防長2か国に滅封され、萩に城を築くことを許されました。慶長9(1604)年に工事に着手し、4年後の慶長13(1608)年に萩城が完成しました。萩城は日本海へそそぐ橋本川と松本川にはさまれ、日本海に張り出した指月山の詰の丸(実際は二の丸と本丸)と、その山麓に梯郭式に本丸・二の丸・三の丸を配し三重の堀を巡らした平山城で、別名「指月城(しづきじょう)」とも呼ばれています。 以後代を重ねること13代、敬親に至って幕末の多端な国事の処理が不便なため、文久3(1863)年4月に藩府を山口に移しました。明治7(1874)年には、前年に発布された廃城令により、櫓など他の建物とともにすべてが解体され、現在残っているのは石垣と堀の一部だけで、指月公園(しづきこうえん)として整備され、観光名所となっています。

場所

岩国城

城・城下町 | 山口県

岩国城は、吉川広家(きっかわひろいえ)によって1608年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。城山の尾根沿いに長さ180メートル、横に108~54メートル、石垣の高さ5.4メートル、天守閣は桃山風の南蛮造りと言われ、四層五階で本丸の北隅にそびえており、この外に矢倉五棟、折り回し大門二門、埋門一門、井戸二堀があったとされています。 山上の城である「横山城」と、麓の居館である「土居」からなり、江戸時代初期は岩国藩の居城となり、廃城後は土居が陣屋として存続しました。城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出しています。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備されました。

場所

熊本城

城・城下町 | 熊本県 | 観光する

熊本城は日本三名城のひとつで、今から400年前の戦国時代に7年の歳月をかけて築城された天下の名城です。その構えは豪壮雄大で、城域は約98ヘクタール、周囲約5.3㎞と広く、当時は大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49ヶ所、櫓門(やぐらもん)18ヶ所、その他城門29ヶ所を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。熊本城の最大の特徴は自然の地形を利用した石垣で敵に対する備を考えた「武者返し」と言われています。上部に向かってのびていく曲線の美しさ「清正流石垣(きよまさりゅういしがき)」と呼ばれるほどです。 江戸時代から加藤家2代、細川家11代の居城として続いていましたが明治10(1877)年の西南の役では薩摩の大軍を迎えて、50余日のろう城に耐えたことで難攻不落の名城としての真価を多いに発揮しました。

Copyright © 2007-2008 Wanoa Inc. All Rights Reserved.
(ワノア)は株式会社わのあの登録商標です。【登録第5115867号】