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岩国城

城・城下町 | 山口県

岩国城は、吉川広家(きっかわひろいえ)によって1608年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。城山の尾根沿いに長さ180メートル、横に108~54メートル、石垣の高さ5.4メートル、天守閣は桃山風の南蛮造りと言われ、四層五階で本丸の北隅にそびえており、この外に矢倉五棟、折り回し大門二門、埋門一門、井戸二堀があったとされています。 山上の城である「横山城」と、麓の居館である「土居」からなり、江戸時代初期は岩国藩の居城となり、廃城後は土居が陣屋として存続しました。城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出しています。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備されました。

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鬼怒川温泉

温泉 | 栃木県 | 観光する

鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)は、栃木県の中央を北から南に流れる雄大な鬼怒川の上流部(栃木県日光市)にあり、渓谷沿いに旅館・ホテルが立ち並んでいます。首都圏からのアクセスが便利なこともあって、東京の「奥座敷」と呼ばれ、関東の温泉地としては箱根と並んで有名です。 現在の「鬼怒川温泉」は、もともと「滝温泉」と呼ばれた鬼怒川西岸の温泉と、「藤原温泉」と呼ばれた東岸の温泉を合わせた地域を指しています。歴史的には、江戸時代に「滝温泉」が発見されたのがはじまりで、当時は日光の寺社領であったため、日光詣の僧侶や大名だけに利用が許されたと言われています。明治時代になって滝温泉が一般にも開放されるようになると、「藤原温泉」が発見されました。昭和2(1927)年に二つを合わせて鬼怒川温泉と呼ぶようになり、昭和4(1929)年の東武鉄道日光線開通とともに関東の一大温泉地として発展しました。

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川治温泉

温泉 | 栃木県 | 観光する

川治温泉は、鬼怒川と男鹿川が合流する峡谷にひらけた温泉郷です。新緑、紅葉が美しく、男鹿川の両岸に立ち並ぶ温泉旅館は静かで、昔ながらの古きよき温泉情緒もたっぷり感じられます。 川治温泉は江戸時代の享保8(1723)年に鬼怒川の上流である男鹿川が氾濫した際に偶然発見されたのがはじまりだと言われています。 江戸時代の江戸時代の享保8(1723)年におこった「享保の大地震」で男鹿川が堰き止められ五十里湖が出現し、その後大雨の影響で五十里湖が決壊、そのとき水が引いた川原の一部から湯気が上がりたくさんの蛇が身を寄せていたそうです。それが川治温泉の起源とされています。以降、会津西街道の宿場町として栄え、旅人や湯治の場として親しまれました。名前の由来は会津西街道の本道とは別に川沿いに通っていた道を「川路」と呼んでいたことから、現在は「川治温泉」になったとされています。

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五稜郭

名所 | 北海道 | 観光する

五稜郭(ごりょうかく)は、北海道函館市にある平面が星形の洋式城郭跡です。日米和親条約締結によって箱館(はこだて)を開港するにあたり、防衛力の強化と役所の移転を目的として、元治元(1864)年に、徳川幕府の箱館奉行支配下の蘭学者、武田斐三郎が設計し、箱館奉行所として築かれました。稜堡と呼ばれる5つの突角を配し、星形五角形を呈する外観から五稜郭と呼ばれています。 五稜郭は、戊辰(ぼしん)戦争の最後の戦いの地として有名です。榎本武揚(えのもとたけあき)、土方歳三(ひじかたとしぞう)ら旧幕府脱走軍が占拠し、明治新政府軍と戦ったため、役所としての機能を失い、明治4(1871)年に、五稜郭内部の建物はほとんど取り壊されました。大正3(1914)年に五稜郭公園として一般公開されると、昭和27(1952)年には、「五稜郭跡」の名称で特別史跡として国から指定を受け、現在でも高さ約5~7メートルの土塁をはじめ、堀・石垣が良好な状態で残っているほか、現在平成22年度のオープンを目指して、箱館奉行所の復元工事が行われています。また、昭和39(1964)年には、五稜郭公園入口付近に五稜郭タワーが建設され、1,660本の桜の木は、函館市では函館公園と並ぶ桜の名所としても知られ、毎年花見の時期になると多くの花見客でにぎわいます。毎年5月の土日に箱館五稜郭祭が開催されています。 平成18(2006)年4月には高さ107mの新しい五稜郭タワーがオープンしたほか、五稜郭が日本100名城に選定されました。

湯西川温泉 露天風呂
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湯西川温泉

温泉 | 栃木県 | 観光する

湯西川温泉は栃木県奥日光の大自然の山々に包まれた深山幽谷(しんざんゆうこく)の平家ゆかりの里にある温泉街です。昔ながらの民家や風情ある湯宿が立ち並び、ひっそりとした山里の風情と隠れ里の雰囲気を色濃く残した地です。 歴史的には1185年、源氏と平氏が戦った壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門がこの地に落ち延びて隠れ住んだという平家落人伝説が有名です。温泉地としては400余年の歴史があり、湧出量が豊富なことが特徴です。泉質はアルカリ単純泉で、やけど、切り傷、神経痛、筋肉痛に効用があり、美肌効果もあるといわれています。

湯畑
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草津温泉

温泉 | 群馬県 | 観光する

草津温泉は日本三名泉の一つとして広く知られ、自然湧出量としては日本一です。泉質は強酸性の硫黄泉で殺菌力が強く、慢性皮膚病や神経痛、筋肉痛などに効果があると言われています。また、江戸時代から伝わる草津だけの入浴法「時間湯」の始めには、高い温度の温泉を水も使わずに湯温を下げるために、長い板で湯をもむ、湯もみが行われています。その湯もみをする際に添え歌として歌われた歌が、いつしか草津節として全国的に知られるようになりました。町では豊富な湯量を利用して、草津町民のために18か所の共同浴場を設置、町民の生活のお風呂として利用されています。一般の方たちの利用も可能で人気を集めていますが、観光用ではないのでマナーを守り、つねに「もらい湯」の気持ちを忘れずに利用するようにしましょう。

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立山

名所 | 富山県 | 長野県 | 観光する

立山(たてやま)は、日本三霊山・日本百名山の一つで、標高3,015mの大汝山を最高峰として、3,003mの主峰、雄山(おやま)、2,999mの富士の折立(ふじのおりたて)の3つの山からなっており、日本の屋根と言われています。 登山ルートはいくつかありますが、初めての人には富山県と長野県の二県にまたがり、延長90Kmに及ぶ大山岳観光ルート、立山黒部アルペンルートがおすすめです。鉄道、ケーブルカー、高山バス、トロリーバス、ロープウェイなどの交通機関を利用して、弥陀ヶ原や標高2,450mの室堂など自然のダイナミックな景観を無理なく楽しむことができます。

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熊本城

城・城下町 | 熊本県 | 観光する

熊本城は日本三名城のひとつで、今から400年前の戦国時代に7年の歳月をかけて築城された天下の名城です。その構えは豪壮雄大で、城域は約98ヘクタール、周囲約5.3㎞と広く、当時は大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49ヶ所、櫓門(やぐらもん)18ヶ所、その他城門29ヶ所を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。熊本城の最大の特徴は自然の地形を利用した石垣で敵に対する備を考えた「武者返し」と言われています。上部に向かってのびていく曲線の美しさ「清正流石垣(きよまさりゅういしがき)」と呼ばれるほどです。 江戸時代から加藤家2代、細川家11代の居城として続いていましたが明治10(1877)年の西南の役では薩摩の大軍を迎えて、50余日のろう城に耐えたことで難攻不落の名城としての真価を多いに発揮しました。

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偕楽園

庭園 | 茨城県 | 観光する

偕楽園は国の特別名勝に指定され、金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつです。JR水戸駅を下車したバスで約20分。梅の時期(2月下旬から3月下旬)だけ、臨時駅として水戸偕楽駅が開設され下車のみできるようになります。偕楽園はまた、梅の公園として全国的に有名で、園の面積は139,000㎡で、この半分にあたるいったいが梅林になっており、現在は約100品種3000本の梅樹が植えられ、毎年2月下旬から3月下旬の開花時には、桜に似た大変美しい花が咲き誇り、梅の甘酸っぱい香りでどこか別世界に入り込んだようです。

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金山古墳

古墳 | 大阪府 | 観光する

金山古墳は葛城山地西麓と富田林市南方に連なる丘陵との間にはさまれた東西約1㎞、南北約3㎞の台地上をなす谷の最奥部に位置しています。付近の地形を見ると、南東から北西に向かって舌状に張り出した小尾根を利用して築かれているのがわかります。 付近の標高は130mあり、墳丘上から北方約10㎞にある古市古墳群や遠く六甲山の山並を望むことができ、絶好の立地条件と言えるでしょう。墳丘は大小二つの円丘を連接させた形に築かれ、墳長は85.8mで北丘の直径は38.6mで二段重ね、南丘の直径は55.4mで三段重ねの円丘で、墳丘周囲は双円形の濠をめぐらせたわが国ではきわめて例の少ない、双円墳です。石棺の形や出土遺物などから、6世紀末から7世紀初めに築かれたものと考えられます。

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