食べ物

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にぎり
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すし

大衆料理 | 知る

いまや世界中の人が知っている日本の「すし」ですが、一言にすしといっても様々な種類があります。地域色や特別な料理としてのすしを除いた、一般的によく食される代表的なすしを列挙してみると握りずし 国内外外問わず、すしと言ったらまずこれを思い描く人が多いでしょう。一般的には「しゃり」と呼ばれる白米にすし酢を混ぜて作られた酸味のあるご飯の上に、新鮮な魚介類の切り身や煮て甘いたれをつけたもの、また卵や漬物などをのせて 好みで醤油などをつけて食べます。最近ではユニークな具材をのせるすしも見られるようになり、すし=魚という概念を覆すようなものも現われています。軍艦巻き 握りすしの一つとしても考えられていますが、上記とおなじしゃりを海苔で巻きその上に、いくら、うになど握りすしでは形が崩れてしまう具材がのっているすしです。 魚介類以外にも、サラダなどがのせられたものも多く店では見受けられ人気があるようです。巻きすし 巻き簾(すだれ)と呼ばれる道具を使い、この上に海苔を広げそこにしゃりをうすく盛り、さらにその上に細長く具材をのせ、巻き簾を巻いて円筒状にしたすしです。一般的に食されているのは、干瓢(かんぴょう)やきゅうりなどの野菜類、ねぎとろと呼ばれる、まぐろを身をすりつぶしねぎとまぜたものなどが人気がります。また家庭で気軽に作られる苔に自分の好きな量のしゃりと具材を入れて、手で巻いて食べる手巻きすしと呼ばれるものもあります。ちらしすし 同じくすし酢を混ぜたご飯を重箱などに盛り、その上に握りすしで使われる魚の切り身などをのせたり、細かく切った魚介類や野菜などをのせたりして食べるすしです。比較的簡単に作ることができるため、家庭などでもよく食され、各家庭において具材を工夫してオリジナルなものを作ったりして楽しみます。このように様々な種類のすしがあります。また、お店の在り方も近年大きく変わってきました。かつてはすしは日本におけるファーストフードであり、一般の人は魚市場近くの屋台などで気軽に立ち寄り、ちょっとつまむように食することが多かったのですが、段々と高級な食事としてのすしが栄えはじめ、各地域にカウンター式のすし屋がたくさん立ち並び始めました。この頃はすしをつくる料理人も非常に高度な技術を要求され、ご飯を作るだけで3年、握りすしを作れるようになるまでに8年、合計で10年以上の修行を積まないと一人前として認められないほどでした。新鮮で高級なネタと料理人の技術、またカウンター越しにお客さんときさくな会話をすることも料理人には要求され、すし屋は一般の人にとって特別な日の贅沢な料理と空間という感覚が広がっていったのです。しかし、これに対してもっと気軽にすしを楽しめるようにということで、今では主流になっている「回転すし」が登場しました。まず画期的だったのは、それまですし屋での会計は食べ終わった後でないとわからない、時期によって価格が変わる「時価」という形で表わされていたものを、一皿~円と明確にわかるようになったことでした。これによりお客さんが値段を確認しながら安心して食事ができる仕組みを作ったのです。また、非常に高度な技術を要求されていたすしの料理人が、回転すしの登場により作る方も機械化が進み、そこまでの技術を必要としなくなったことも大きく値段を下げ、普段の食事としてすしを楽しめるようになったことに大きく貢献していると言えるでしょう。しかし一方で、ほんもののすしは料理人が早朝に市場に行って新鮮なネタを見つくろい、実際に握ってもらいカウンター越しに話しながら楽しむものだという流れもあります。ですから気軽にすしを楽しむ時は回転すしへ、贅沢に新鮮なネタを楽しむ時はカウンターのすし屋へと使い分けている人も多くいます。すしの楽しみ方例すしは新鮮なネタが非常に重要です。また同じく重要なものが季節です。季節によって魚の味が変わります。以前食べたことがある材料でも、冬と夏とでは味が違うことがあります。ですから、すしを楽しむ時は、料理人に今旬で美味な材料は何か聞いてみましょう。きっと教えてくれるはずです。

大皿に盛られた料理の数々が円卓を囲んで食べられる。
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卓袱料理・卓子料理

郷土料理 | 長崎県 | 知る

卓袱料理は長崎県の郷土料理です。そのはじまりは、今から約300年以上前にさかのぼります。長崎と中国との接触は慶長5(1600)年に始まりましたが、寛永10(1633)年、徳川家光は、第一回の鎖国令を出し、寛永12(1635)年には中国貿易船も入港は長崎だけに限られました。元禄2(1689)年に唐人屋敷が造られ、それまで長崎市内に散宿していた中国人は現在の館内町の一区域に集まって住むことになります。中国人が長崎へ来て唐人屋敷に移り住むまでの間は、長崎の船宿と呼ばれる民家に自由に散宿していました。これを「町宿(マチヤド)」と呼び、中国人が初めて長崎に来てから唐人屋敷が造られるまでの約80年間は、長崎市民と最も親密な交歓があった時代です。この町宿での生活の中で、長崎市民は、中国人のご馳走、中国料理というものを知ることとなり、自然なかたちで長崎市民の家庭に広まったと言われています。

仏教では殺生が禁じられていて、肉食もしてはいけないとされ野菜、豆、穀類を調理して食べる。
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精進料理

伝統料理 | 知る

精進料理は濃い味付けをした小麦粉・もち米・落花生などで豚・鶏・魚をかたどったものです。「精進」の文字は二つの意味を持っています。ひとつめは「しょうじ」と読み、穀物や野菜でつくる食事、ふたつめは「しょうじん」と読んで、魚や肉を食べず、身を清浄にして、仏道修行に励むという意です。 中世においては一般的には肉食を行い、精進料理は神社への参詣や葬儀、また厳粛な儀式に供されていました。いずれにしても平安時代までの精進料理は単に魚肉を避けて、穢れ(けがれ)や不浄を遠ざける意味を持つものでした。精進料理が本格的な成立をみたのは、鎌倉時代で、中国の禅宗を学んで帰国した英才や道元など多くの僧侶たちの手によって、禅の思想と料理の技術から生まれ、日本独自の料理として鎌倉時代から南北朝時代にわたって発展しました。禅院では早朝にまず仏様に茶湯を献じて、粥飯を供えます。この仏様への奠茶(てんちゃ)の儀礼が師やお客様への応接の基本で、住持の交代や来客、僧侶同士の会合の際にも同様に茶礼が行われました。この茶礼には実に細やかな規定が定められており、禅院では料理の任に当たるものを典座(てんぞ)と称し、道元による「典座教訓」には、料理人、配膳人、食事にあずかる僧侶それぞれの心得が説かれています。献立名 「庭訓往来(てんきんおうらい)」より 1)点心類

食べ物 スペシャル

料亭 波むら

伝統料理 | 東京都 | 食べる・飲む | 楽しむ

向島見番通りに創業当時の情緒あふれる姿と平成元年に改築された新館(地下一階・地上四階)の堂々たる風格を併せ持つ「料亭波むら」。料亭を利用したことがない人にとって、初めてその敷居をまたぐときは、その気品の高さと伝統の重みにに緊張を隠せないものですがそんな気持ちも「波むら」の門をくぐり女将さんや仲居さん、そして下足番の方たちの温かいもてなしの心と言葉で迎えられた時には吹き飛んでしまいます。そんな下町情緒あふれる優しさで包まれた雰囲気が「料亭波むら」の居心地のよさであり、贔屓(ひいき)の客が絶えないゆえんでしょう。そして代表波木井照夫さんがこだわる各所にちりばめらたおもてなしの心。

正月に飲む薬酒。邪気を払って長寿を願う。数種類の薬草を使った屠蘇散を酒に浸して作る。
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おとそ

特別な料理 | 一月 | 知る

1月1日は、朝から自分にご褒美です。一緒に日本の文化も楽しんじゃいましょう。「一人これを飲めば一家くるしみなく、一家これを飲めば一里病なし」と言われているお屠蘇(とそ)。これはただの日本酒ではありません。 1年間、健康に過ごすことができるように作られた薬膳酒なのです。しかし『薬膳酒』だからと言って、飲みにくいなんてことはありません。あるモノを入れて調整することで、自分流に仕上げることができます。なぜ健康にいいのでしょうか。 お屠蘇は、「屠蘇散」という10種類近くの薬草を合わせたものとお酒やみりんで作られています。この「屠蘇散」には、馴染みのある「山椒」から、「陳皮」や「肉桂皮」のように聞いたことのないようなものまで入っていて風邪を防ぎ、消化機能を整え、身体を温める作用があるのです。そんな医者いらずの「お屠蘇」を考えてくださったのは、どちらのどなた様なのでしょう。

食べ物 スペシャル

富貴楼

郷土料理 | 長崎県 | 食べる・飲む | 楽しむ

長崎駅から車で5,6分行くと見えてくる小高い山の上に建つ純日本風の大きな建物が長崎の伝統料理である卓袱料理(しっぽくりょうり)を今も守り続ける料亭富貴楼です。その木造の建物は節目節目で改築こそ行われているものの、建築当初の姿そのままに堂々とした風格と長崎の歴史を十分に感じさせてくれます。そして正面の大通りから料亭につながる階段は、日本情緒とこれから始まる料理の宴の序章をじっくりと味あわせてくれ、贔屓にしてもらっているお年を召したお客さまの中にも、山を登り切ったところにある、入りやすい玄関があるにもかかわらず、あえてこの急な階段を上り、富貴楼に訪れる人も多くいるほどです。富貴楼の歴史は古く、1889年に時の内閣総理大臣である伊藤博文より庭に咲く牡丹の花の見事な様子を見て、当初の経営者であった内田トミの名から一文字取り「富貴楼」の名前を勧められたことより由来します。しかし、それ以前より千秋亭「吉田屋」と名乗り経営していた時期を考えると江戸時代まで遡り、その歴史は350年を超える長いものとなります。店内の個室は卓袱料理の特徴である見事な朱色の円卓が置かれ、仲間とともに料理・宴を楽しむ和やかな雰囲気と伝統を感じさせる重厚な豪華さとが共存した心地よい贅沢さを醸し出しています。またかつて床下に生簀が置かれそれを眺めながら海鮮の珍味を食す宴が連日開かれていたという100畳近い大広間は提灯が軒先に飾られ、今も昔も変わらない親しい友人達を楽しくもてなす雰囲気を見事に演出してくれることでしょう。天領であった長崎ならではのおもてなしの心、富貴楼でじっくり味わってみてはいかがでしょうか。

食べ物 スペシャル

金城樓

郷土料理 | 石川県 | 食べる・飲む | 楽しむ | 泊まる

様々な伝統文化と工芸が根付く町石川県金沢市。その中でも日本の伝統情緒が漂うひがし茶屋街、日本を代表する庭園「兼六園」からほどない距離にある、日本建築の粋をこらした建物が、百余年の歴史を持つ料亭「金城樓」です。 大きな玄関をくぐると、そこには壁一面に広がる季節に合せたしつらえが出迎えてくれます。落ち着いた庭園や部屋に至る廊下の各所に何気なく置かれているしつらえは、金城樓の確かな歴史と格式とを裏づけてくれるものばかりです。 やがて金城樓の五代目店主となる兵衛氏は、「大切なお客様をもてなすときや、人生の晴れの日など喜ばしい日をさらに喜んでいただけるように、ゆくゆくは金沢の迎賓館としてお客様に認めていただけるようになりたい」と語っておりました。

食べ物 スペシャル

銭屋

伝統料理 | 石川県 | 食べる・飲む | 楽しむ | 買う

昭和45年に、先代・髙木信(のぶ)が開店しました日本料理銭屋は、豊かな食材に恵まれた金沢にて、四季の自然の恵みを最上の状態でお客様に目と舌で味わっていただく事を一番のおもてなしと考え、お客様をお迎えしています。現在は二代目主人・髙木慎一朗(兄)と、料理長・髙木二郎(弟)が、先代の志を受け継ぎながらも、新しい風を吹き込んでいます。お部屋は全て障子や襖の仕切りではなく完全な個室ですのでごゆっくりお食事をお楽しみいただけます。接待係が一部屋に必ず一名以上つきます。 カウンターは板前の仕事ぶりを見ながら、会話もお楽しみいただけるお席となっております。

正月に食べる餅の入った汁物料理。日本各地で様々な雑煮の種類がある。
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雑煮

特別な料理 | 一月 | 知る

お雑煮は正月に食べるおせち料理と並ぶ日本の伝統食のひとつです。これを食べることができるのは、お正月だけ。「雑煮」とは、「煮雑(にまぜ)」が語源で、外見はカリッ、中身はとろっとしたお餅を中心に、野菜や海鮮物など地方によってさまざまな具を煮合わせてつくります。雑煮のメインであるもちは昔から歳神様のお供えものとしてあげており、大変縁起の良い食べ物とされています。もちの形は地方によって異なり、関西では円満の意味から丸餅が多く、東京では手っとり早く数多く作ることができる角餅がよくつかわれています。 そもそもなぜ、お餅を汁物の中に入れて食べるようになったのでしょう。ぺったんぺったん、つきたてのお餅なら、砂糖醤油をつけて海苔をまいたり(磯辺焼き)、きなこか小豆(あずき)と一緒に食べたりするだけでも、十二分においしいのです。

おせち料理
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おせち料理

特別な料理 | 一月 | 知る

おせちとは、お節供の略で、年の始めにその年の豊作を祈って食べる料理や武家の祝い膳、新年を祝う庶民の料理などが混ざり合ってできたもので、正月に食べるお祝いの料理であり、本来、暦上の節句のことを指します。その際に食べる料理をおせち料理と呼んだため、現在では節句の一番目にあたる正月の料理を表す言葉として使われています。 さらに現在では正月、三が日は主婦を家事から解放するという意味を含め、保存の効く食材が中心のものになったといわれています。また、お正月に火を使うことをできるだけ避けるという物忌みの意味も含んでいます。

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