和紙

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伝統工芸品

土佐和紙

和紙 | 高知県 | 知る

土佐和紙は高知県の南国市、土佐市、吾川郡いの町、高岡郡津野町などで作られ、書道用紙、手工芸用紙、表具用紙、障子紙、絵画版画用紙、和紙加工品 として多く用いられています。和紙の原料、和紙作りのための道具、和紙作り、すべてが地元で賄われており、土佐で採れる豊富で質の良い原料をふんだんに使うため、優れた品質として発展してきました。また、現在もコウゾ、ミツマタ、ガンピ、稲わら、竹などを原料に、流し漉き、溜め漉きなどをほとんど手作業で行っており、一軒一軒が異なる紙を漉いているため、その品種の豊富さに特徴があります。

伝統工芸品

内山紙

和紙 | 長野県 | 知る

内山紙は国の伝統的工芸品に指定されている和紙のひとつで、長野県飯山市、下高井郡野沢温泉村、下水内郡栄村などで作られています。主な製品としては障子紙、永年保存用紙、加工書道用紙、紙加工品、一〆張りがあげられます。 内山紙という名は産地の地名が由来で、江戸時代初期に、美濃で製法を身に付けた職人が、自分の家で漉(す)いたのが始まりと言われています。豪雪地帯であるこの地は、冬になると農作業ができないという事情から、冬限定の仕事として発展しました。 ほかの地域では和紙づくりには川の水を使ってきたのに対し、ここでは雪に囲まれるという環境から、多量の雪で楮(こうぞ)を晒(さら)して白くする「凍皮」、雪晒し等、独特の技術が生まれました。内山紙の原料は、和紙原料の中で最も強くしなやかな楮だけを使用します。楮100%の紙は繊維が太く長くて強靱で、通気性、保湿力に優れており、日にも焼けないことから障子紙に適しています。また、同じ理由で長期間にわたって保存するための紙としても最適です。楮の原木から内山紙ができるまでには20~25程度の工程があります。良質な内山紙を作るためには原料の下準備、紙漉き、乾燥の工程が大切であるとされています。中でも紙漉き作業は紙の良し悪しを決める大切な作業です。また、トロロアオイという天然のノリは、夏場は腐って品質が変わりやすいので紙を漉くのは冬が最適と言われています。「流し漉き」は、手の切れるような冷たい水の中で、少しも手を止めることなく、常に前後左右に動かし続けなければならない過酷な作業です。このような厳しい寒さの中での作業によって良質の内山紙が生まれています。

伝統工芸品

大洲和紙

和紙 | 愛媛県 | 知る

愛媛県の西予市、喜多郡内子町で生産される大洲和紙(おおずわし)は、おもに書道用の紙として使用されており、半紙、画仙紙、版画用紙、表装用紙、色和紙、たこ紙、 障子紙といった製品があります。大洲和紙は、なめらかでにじみにくいなど質が良いと評判が高く、書道用紙として古くから書道をたしなむ人々に愛されています。特にできてから3~4年経過して「枯れる」状態になったものは筆のすべりや墨の付きが良くなり、独特の味わいが楽しめるといわれています。 伊予の紙「大洲和紙」の起源ははっきりとはわかっていませんが、平安時代に京都に図書寮紙屋院が置かれ、公用紙を定めることになったときに、上納した40数カ国の中に、大洲も含まれていたことが「 延喜式(えんぎしき)」といわれる書物に記録されており、平安時代にはすでに生産されていたと言われています。史実としては、江戸時代中期に、 善之進という僧がこの地に来て、紙漉の師として技術を伝え、大洲の藩内作業として繁栄を極めていったということが五十崎(いかざき)町の香林寺にある過去帳に記されています。江戸時代には、大洲藩の保護奨励政策のもと、次第に発展し、その品質は高い評価を得るようになりました。 今も大洲では昔ながらの製法を守り続け、質の高い和紙を供給し続けています。特に書道用紙は質量ともに、日本一を誇っています。

伝統工芸品

美濃和紙

和紙 | 岐阜県 | 知る

美濃和紙は、 岐阜県美濃市で作られる和紙で、主に本美濃紙、美術工芸紙、箔合紙などの製品になっています。薄くても布のように丈夫で、しかも繊細できめ細やかな風合いを持ち、温かみのある色艶が感じられる美しい美濃和紙は、障子紙を始め、保存文書用紙、岐阜提灯や、友禅染めに使う伊勢型紙、金沢箔で使う「箔合紙(はくあいし・できあがった金箔がくっつかないようにはさんでおく紙)」などその用途は多岐にわたっております。 美濃和紙は、1300年もの歴史を持っています。「正倉院文書」に、現存する日本最古の戸籍として、美濃和紙に書かれた大宝2(702)年の戸籍が残っており、このことから美濃和紙の始まりは、奈良時代だと考えられています。その後、仏教の普及により、奈良の都で写経のために多くの紙が必要となり、和紙の産地も各地で盛んになったと言われています。平安時代には、和紙を、他の産地より、はるかに多く年貢として京都におさめていたことがわかっており、このことからも、美濃の紙の産地として規模の大きさをうかがい知ることができます。室町時代には、地元の権力者である土岐氏によって六斉市(ろくさいいち)と呼ばれた紙市場が開かれたことで、美濃和紙は京都、大阪、伊勢方面に出荷され、広くその名が知られるようになりました。江戸時代には、美濃和紙が江戸幕府御用となり、幕府の保護を受け発展しました。しかし、現在では機械化が進んだことや、ほかの工芸品や障子紙などの需要が減ったことから生産量は激減しています。

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