あかますずり
赤間硯
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日本の硯の三大産地の一つ、山口県宇部市西万倉(やまぐちけんうべしにしまぐら)で採石され、同市及び下関市で製作されている硯は、赤間硯(あかますずり)と言い、国の伝統的工芸品に指定されています。
赤間硯の歴史は古く、現存する最古の赤間硯として、建久二(1191)年に源頼朝によって神奈川県鎌倉市(かながわけんかまくらし)の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に奉納されたものがあります。江戸時代前期には採石・製作・販売のすべてを下関市(赤間関)で行われていましたが、採石方法である坑内掘り(たぬき掘り)の限界から、江戸時代後期には宇部市西万倉周辺で採石が始まると、次第に採石・一般書道用硯の製作は宇部市西万倉周辺、販売・文様彫刻などを施した細工硯の製作は下関市で行われるようになりました。毛利氏が藩を治めていた時代には、良質の原石が採れる山は御止山(おとめやま)として一般には入山を禁じられ、参勤交代の贈り物等として硯が必要になると、藩主の命令によって採石されました。このように、赤間硯は長州藩の名産として貴重なものであるとともに、藩を代表する産業でした。明治時代になると、書道が広く一般に普及したため、赤間硯の需要も高く、もっとも盛んに作られていました。
赤間硯を作る石は赤間石(あかまいし)と呼ばれ、硯石の中でも数少ない赤色系の石です。学名は赤色頁岩(せきしょくけつがん)で、一般によく目にする黒色の硯石よりも石に粘りがある特徴を持ちます。赤間硯の生産が始まった下関市は貿易港でしたから、中国大陸や朝鮮半島の硯を国内では最も早く目にすることができ、また赤間石の粘りのある石質から、中国風・朝鮮半島風の立体的な文様彫琢(もんようちょうたく)が施された硯が数多く製作されて流通したために鑑賞用硯と思われ、使用されない人も多いようです。しかし実用面では、鋒鋩(ほうぼう)と呼ばれる石英や長石、鉄などの微粒子がむらなく等しく含まれており、その微粒子の粒度は日本の硯石の中で最も小さく、固形墨を細かく磨り下ろすことで、かすれ難い墨液を作ることができます。このことから、煤(すす)の粒子が粗い松煙墨を使用する時や仮名文字、水墨画用として高い評価を得ています。
赤間硯ができあがるまでの工程で最初にする採石は、下関から宇部市まで続く赤間石の層(層厚2000~3000メートル)の中心にあたる石層(層厚1~1.5メートル)から石の塊を抜き出す方法で行ないます。硯に加工できる石層がわずか1~1.5メートルしかないことから、無駄な自然破壊をしない坑内掘りで石層に沿って(斜度約20度)行います。硯に加工できる1~1.5メートルの石層内にも、断層や不純物が混入する場合があるため、採石したすべての石が製作できるわけではありません。次に石の塊から板状に割り出し、石の良し悪しを見極めたのち、採石場から工房に持ち帰ります。通常の製作手順は、型取り-平板作り-内彫り-磨き-仕上げで、型取りと平板作りの一部に機械が使用されるようになったものの、これ以外の工程における技法は100年以上前からほぼ変わらないものです。また内彫り工程の縁立て、粗彫り、胸彫り、加飾彫り(浮かし彫り・毛彫り・たたき彫り等)、仕上げ彫りを行うための幅2~10ミリ程度のノミは、職人一人ひとりが自ら製作し、使いやすいように加工しています。








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