せんそうじ
浅草寺
寺院 | 東京都 | 観光する ◢
浅草寺は、東京都内で最も古い寺で、正式には、「金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)」と言い、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)をご本尊とすることから、「浅草観音(あさくさかんのん)」という名でも親しまれています。年間約3000万人が訪れると言われ、民衆信仰の中心地となっています。
総門(正門)は、「雷門(かみなりもん)」(もともと「風雷神門(ふうらいじんもん)」と呼ばれていた)門です。雷門とそこに吊られた大きな提灯は、浅草の顔であると同時に日本の顔として、海外の人にもよく知られています。この門は、942年、平公雅(たいらのきんまさ)によって創建されました。当初は伽藍守護のために風水害と火災からの除難の目的で風神・雷神という二つの神がまつられたとされていますが、さらには天下泰平や五穀豊穣の祈願もこめられるようになったと言われています。雷門は、慶応元(1865)年に火災で炎上しましたが、昭和35(1960)年に松下幸之助氏の寄進により現在の雷門が再建されました。
この門をくぐると、「仲見世(なかみせ)」と呼ばれる石畳の参道が、「宝蔵門(ほうぞうもん)」まで約250m続いています。仲見世は日本でもっとも古い商店街の一つと言われ、常に参拝者で賑わっています。この仲見世の歴史は、徳川家康が江戸に幕府を開いてから、江戸の人口が増え、浅草寺への参拝者も一層にぎわいだしたことから、付近の住民に浅草寺の境内の掃除の賦役を課す代わりに、境内や参道脇に出店営業の特権を与えたことが始まりと言われており、商店街として形を成してきたのは、元禄、享保の時代(1688~1735年)のころと言われています。
浅草寺では、お祭りや市などが年間を通して、たくさん行われています。1月1日の初詣からはじまり、3月の「金龍の舞(きんりゅうのまい)」、7月の「四万六千日(しまんろくせんにち)・ほおずき市」、12月の「納めの観音ご縁日・羽子板市」などが特に有名です。
ただし行事日は大変込み合いますので、ゆっくりと浅草寺や仲見世を眺めたいときは、行事が開催されている日を外すとよいかもしれません。
浅草寺の歴史
飛鳥時代の推古天皇36(628)年ごろ、今の隅田川で、檜前浜成(ひのくまはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟が漁をしていたところ、はからずも一躰の観音さまの仏像が網にかかり、その仏像を拝んだ郷司土師中知(はじのなかとも)は出家し、自宅を改めて寺とし、礼拝供養に生涯をささげたことがはじまりと言われています。その後、大化元(645)年に勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地にとどまって観音堂を建立しました。勝海上人は観音の夢告によりご本尊を秘仏(非公開)と定め、それ以来今日までこの掟は厳守されています。東京湾の入り江の一漁村にすぎなかった浅草は、やがて参拝者が増えるにつれて、武蔵国(むさしのくに)の観音信仰の中心地となりました。平安時代初期には、慈覚大師円仁が来山し、秘仏とされたご本尊を模して、人々が実際に拝むための「お前立ち」の像を造ったと言われています。鎌倉時代以降は有名な武将・文人の信仰を集めて栄え、さらに江戸時代には徳川幕府の祈願所として定められてからは、江戸文化の中心として庶民の間に親しまれ、さらなる隆盛をみるようになりました。






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