みやぎでんとうこけし
宮城伝統こけし
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宮城県内には、「鳴子(なるこ)こけし」「作並(さくなみ)こけし」「遠刈田(とおがつた)こけし」「弥治郎(やじろう)こけし」「肘折(ひじおり)こけし」の5つの伝統こけしがあります。これらをまとめて宮城伝統こけしと呼び、国の伝統的工芸品に指定されています。宮城伝統こけしの特徴は頭部と胴体だけという、極めて簡略化された造形の美に加え、山村の自然に囲まれた素朴な作り手の心から生まれた清楚で可憐な姿です。
鳴子こけし
顔の特徴は、結い上げた前髪に、横の髪、一重の目と丸い鼻と、どこかで見たことのあるような、とても親しみを感じる素朴な顔をしています。胴は風車に見立てた車菊、菊を側面から見た重ね菊、かえで、なでしこ、牡丹など、美しい柄の着物を着ています。また、首をまわすと、キュッキュッと鳴き音を鳴らして遊べたのも鳴子こけしの大きな特徴です。
鳴子こけしと関係の深いもの
温泉神社
滝の湯
鳴子・早稲田桟敷湯温泉
弥治郎こけし
弥治郎こけしは、蔵王の麓、弥治郎集落から少し離れたところにある、600年の歴史をもつ名湯、鎌先温泉の土産物として発展してきました。鎌先温泉の土産物として、弥治郎集落で作ったこけしを持ち、女性たちが旅館の部屋をまわったのが、そのはじまりと言われています。豊かな緑によく映えるろくろ模様が特徴です。
弥治郎こけしと関係の深いもの
こけし神社(「小野宮惟喬親王神社」)毎年1月2日「こけしの初挽き」が行われます。毎年1人の弥治郎こけし職人がここでこけしをつくり、この神社に納めます。中にはこれまで奉納されたこけしがすべて並んでおり、弥治郎こけしの歴史を見てとることができます。「こけしの初挽き」の日には、弥治郎地区に住む人々がお雑煮や御神酒などをふるまい、地元の子どもたちがこけし神輿を担ぐ、昔ながらの習わしも残っています。
鎌先温泉
600年以上昔、村人が鎌の先で発見したと言い伝えられている鎌先温泉は、薬湯としても知られ、かつて伊達の殿様もつかったという名湯であり、幕末にはたいへんな賑わいを見せました。そのころより、弥治郎の木地師たちが作った土産用のこけしを、女性たちが鎌先温泉の旅館の部屋をまわって売り、弥治郎こけしを確立させていきました。鎌先温泉をまわってこけしを売ることを、「鎌先商い」といい、昭和34年ほどまで続いていたと言われています。
遠刈田(とおがった)こけし
遠刈田のこけしは、京の芸妓・花魁(おいらん)がモデルになっていると言われています。パッチリとした二重の目に、すっととおった鼻におちょぼ口、という京美人の顔、そして頭のてっぺんには赤い放射線状に描かれた髪飾りが特徴的です。
宮城から遠く離れた京美人がモデルになった理由
現在の遠刈田こけしの形が確立しつつある頃、美しい着物をまとった京人形が子どもたちの着せ替え人形として、また大人の観賞用としてこの陸奥の地にも伝わってきたことと関係しています。実際の京人形は金箔が使われていたり、西陣織をまとっていたりと、とても高貴なものであったため、庶民は手にすることができませんでした。この京人形をもとに仙台堤人形がつくられ、京人形そして仙台堤人形をどこかで見た遠刈田の木地師が、せめてこけしの絵にして表現することで子どもたちに美しい人形を与えてやりたいとの想いから、現在のような絵付けがされるようになったと言われています。
遠刈田の温泉
刈田嶺神社
蔵王の山の神を奉った神社
惟嵩神社
ろくろ木地師の神として、惟嵩親王が奉られています。昔、木地師は山へ入って木を切り出し、その山の小屋にでろくろを挽き、木地を作るまで、何日間も山にこもって仕事をし、里へ戻るというスタイルでした。斧一つ持って険しい山に入り、木を切り出すことからはじめる木地師の仕事は常に危険を伴っていたため、山に入る前に、木地師たちは惟嵩神社で仕事中の安全を祈ったのです。
作並こけし
こけしはもともと、飾って鑑賞するものではないため、立てると不安定なものでしたが、時代の流れとともに鑑賞用となっていき工夫された、台付きのこけしが作並こけしの特徴です。
作並こけしと関係が深い作並温泉
作並こけしは、開湯より1200年といわれている、古湯「作並温泉」とともに発展してきました。源氏の時代に矢で射られた鷹が傷を癒しにきたという、「鷹の湯」などがあり、古くからリウマチなどに効くと言われています。多くの温泉旅館に露天風呂があり、水の流れる音を聞きながら温かい湯につかり、周囲の景観も春・夏は緑、秋には紅葉、冬には雪景色と四季を通じて楽しめます。たまにサルもつかりに来るそうです。



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