とうじき

陶磁器

赤津焼

日本料理にとって、食器はその中に盛り付ける料理と調和して、料理を引き立てていっそうおいしく見せる役割をもちます。なかでも日本料理は彩りや季節感が重視されていますので、食器もそれに合わせるように工夫が凝らされています。

日本における焼き物としての食器の歴史は古く、青森県蟹田町の大平山元(おおだいやまもと)遺跡で発掘された「無文土器」が約1万6千年の昔まで、長崎県佐世保市の泉福寺洞窟で発見された「豆粒文式土器」が約1万年の昔まで遡れるとされており、このどちらの説を取るにせよ、日本の土器は世界的に見ても史上最古のものであるとされています。

陶磁器については、16世紀の終わりごろ豊臣秀吉による朝鮮半島への出兵を契機に、優れた焼き物の技術者を迎え入れたのがはじまりです。陶工とその子孫たちが日本の焼き物の歴史に大きな足跡を残すことになりました。すなわち、彼らは主に九州地方や中国地方に住居を与えられ、住み着いた土地で元々は中国から伝わってきたとされる本格的な陶器用の窯を築き、後の唐津焼や萩焼のような名品を産出し始めました。そのなかで、李三平は日本で初めて磁器を焼いた陶工として有名です。彼は鍋島藩(佐賀県)によって、迎え入れられた陶工の一人です。多くの山野を巡り歩いて、いくつもの窯を築きました。そして、有田の泉山という山中で磁器の制作には欠かせない陶石を発見し、ここで日本における最初の磁器を焼き上げることに成功したのです。

陶石は石英、絹雲母などのガラス質を主成分とする白みを帯びた岩石のことで、三川内焼や有田焼の場合は、この硬くて白い石をくだいて粉末とし、それに水を加えて練り上げて、磁器の材料となる粘土を作り上げています。

このうち瀬戸焼では、早い時代から灰釉や鉄釉と呼ばれる釉薬の技術を駆使して食器や酒器、仏器の生産を行ってきており、ここで生産された陶磁器は「瀬戸物」と呼ばれて、日本の焼き物の代名詞にもなっています。

また、他の産地では釉薬を使わない無釉焼き締めの壷、甕、鉢の生産を中心としてきており、特に備前焼、信楽焼、丹波焼では工芸色の強い茶器の生産に力を注ぎ、日本の伝統美の1つである「侘び(わび)、寂び(さび)」の具現化に大きな功績を残しています。

常滑焼、越前焼では私たちが日常生活で使う製品が主体となり、派手さに欠ける嫌いがありますが、これは見方を変えれば、料理そのものが持つ美しさを圧倒してしまうことがないという長所でもあり、上手に使えば、お客様をアッと言わせるだけの素敵な視覚的効果を生み出すことができます。

三川内焼

全国各地には知る人ぞ知るという名品の隠れ窯が無数にあります。

焼き物は、焼成温度の低いものから順番に土器、陶器、炻器(せっき)、磁器の4種類に分類することができます。磁器はもっとも高温で焼いたものです。ガラス質を多く含んだ陶石を主原料として使うので、吸水性はほとんどありません。韓国では淡い青みを帯びた色を持つ青磁がたくさん生産されていますが、日本では白磁と呼ばれるものがほとんどです。また日本では、この透き通るように白い肌にさまざまな彩色や絵付けほどこした華やかな磁器が数多く生産されています。主な産地は瀬戸、三川内、有田、京都、久谷など。

なお、余談となりますが、有田焼の名を一躍世界に広めたのは、江戸時代前期の陶工、坂井田柿右衛門です。彼は朝鮮人陶工である高原五郎七に弟子入りして染付け白磁の焼き方を習得したのち、まったくの独力で白い肌に鮮やかな赤色を発色させる技法を編み出しました。その色があまりにも鮮やかであったために、彼は“赤絵の柿右衛門”として名をはせ、彼の技法を取り入れた有田焼もまた、中国、オランダをはじめとする海外諸国へどんどん輸出されていくことになりました。有田焼は、その積み出し港であった伊万里港の名にちなんで伊万里焼とも呼ばれています。

有田焼
三川内焼「白磁透かし彫り」
三川内焼
有田焼
常滑焼
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