東北

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生活

仙台七夕まつり

祭り | 宮城県 | 八月

仙台七夕まつりは「ねぷた」「竿灯」と並んで、東北三大祭りの一つに数えられており、仙台藩祖の伊達政宗公が奨励したともいわれている伝統的なお祭りです。仙台市を中心として毎年8月6日から8日の3日間にわたって行われます。地元では「たなばたさん」の愛称でも親しまれています。 期間中は七夕パレードも賑やかに行われ、名実ともに日本一を誇る仙台の夏の風物詩となっています。その最大の見どころは、毎年手作りされる豪華絢爛な笹飾りです。笹飾りは青竹と和紙が使われ、清々しい青竹に吊るされた涼やかな和紙の短冊や長い吹き流しがそよぐ姿は、その風を感じるだけでも不思議と心が癒されるようです。一番町や中央通りなどのアーケード街、仙台駅周辺など、商店街単位での飾り付けをはじめとし、家庭や商店など個別の飾り付けに至るまで、市内各地に合計3000本と言われる笹飾りが施され、毎年200万人以上の人が訪れています。

生活

なまはげ

祭り | 秋田県 | 十二月 | みる

なまはげは、秋田県男鹿半島の伝統的な民俗行事で、本来は小正月(陰暦の1月15日)に、神を迎えるための行事でしたが、現在は大晦日または1月15日に行われています。鬼の姿をした数人の青年が集落の家々をめぐり、悪事に訓戒(くんかい)を与え、災禍(さいか)を祓い(はらい)、祝福を与え去るというもので、同時に集落の人々の強いきずなを確かめあうという役割も果たしています。もともと、冬の寒さ厳しいこの地方で、何もせず、囲炉裏端(いろりばた)で暖をとっていると手足に火傷ができ、それをこの地方の方言で「ナモミ」と呼びますが、「ナモミ」があると怠け者の証拠だということで、「ナモミ」を剥いで戒める、というところから、「ナモミ剥ぎ」が「なまはげ」の語源とされています。

伝統工芸品

南部鉄器

金工品 | 岩手県 | 知る

南部鉄器は岩手県の盛岡市、奥州市で作られている鉄器で、茶釜、鉄瓶(てつびん)、花器などの製品があります。 南部鉄器の歴史は350年の昔に遡ります。17世紀初め、現在の岩手県盛岡市一帯を支配していた南部藩が、京都から盛岡に茶釜職人を招いたのが始まりと言われています。その後、南部藩に各地から多くの鋳物師、茶釜職人が集まり、彼らに武器や茶釜、日用品を作らせました。有名な南部鉄瓶は、18世紀に茶釜を小ぶりにして改良したのが始まりで、手軽さから広く用いられるようになりました。一方、伊達藩の支配下にあった現在の岩手県水沢市にあたる地域でも、日用品の鋳物の生産が盛んで、明治時代以後に両産地の技術交流が進み、昭和30年代には盛岡と水沢両方の土地で作られた鋳物を総称して南部鉄器と呼ぶようになりました。現在では南部鉄瓶や鍋、風鈴、アクセサリーなどさまざまな日用品が作られています。特に近年の健康ブームで、鉄器から溶け出す鉄が貧血を予防するなど健康効果が知られ話題になっています。また、鉄瓶は穴が空いても修理ができ、資源節約にもつながるということも魅力のひとつとされています。

伝統工芸品

津軽塗

漆器 | 青森県 | 知る

青森県弘前を中心に作られてきた日本最北端の伝統漆器「津軽塗」。江戸時代元禄から300年以上の歴史があります。その始まりは津軽藩のお抱えの塗師池田源兵衛が苦心の末、従来の漆塗の技法から地域性にあった技術を生み出したことにあり、明治時代初頭から産業として発展してきました。 津軽塗の特徴として、非常に耐久性がよく重厚な美しさがありますが、これは塗っては研ぐ塗っては研ぐという作業をひらすら繰り返す「研ぎ出し変わり塗り」といわれる技法が使われているからです。馬鹿がつくほど丁寧に何度も繰り返し行われることから「馬鹿塗り」とも呼ばれるほどです。今では大変手間のかかる技法のため、他地方ではすでにほとんど使われなくなっていると言われています。

伝統工芸品

大館曲げわっぱ

木工品 | 秋田県 | 知る

秋田音頭にも歌われる大館曲げわっぱは、自然の厳しさに耐えた弾力性の高い天然秋田杉だけを利用して作られる「曲物」と呼ばれる容器の一種で、秋田県がその産地となっています。主に櫃(ひつ)、水差し、盆、すし鉢、弁当箱、菓子器、小物入れ、コーヒーカップ、ビールジョッキとして使われています。大館曲げわっぱの魅力は、天然の秋田杉の柾目(まさめ)と香りが冴(さ)え、木目は真っ直ぐで弾力に富んでいること、年輪の間隔は細かくきれいに揃っていることなどです。鮮やかな赤、淡黄色の明るく美しい木目が生かされた製品には、シンプルながらも美しさと気品があり、軽いながらも強靭であり、日常の身近な容器として使い勝手の良さも兼ね備えています。

伝統工芸品

置賜紬

織物 | 山形県 | 知る

置賜紬は、置賜地方で生産されている織物の総称で、主に着物地、袴、帯、袋物に使われています。産地は大きく3つに分かれ、米沢草木染、長井紬の緯総絣・併用絣、白鷹紬の米琉板締小絣(よねりゅういたじめこがすり)・白鷹板締小絣(しらたかいたじめこがすり)という種類があり、産地によって工程は異なりますが、いずれも糸を先に染めてから織る先染めの平織(ひらおり)です。歴史的には、8世紀初めに始まり、江戸時代初めに、領主の上杉景勝が奨励したことで産地としての体制が整いました。江戸時代中期に第9代藩主上杉鷹山が越後や京から織物職人を呼び寄せ、家中の女子に技術を習わせ、元来養蚕の盛んだった白鷹では農民に機を織らせたことで、置賜の地に紬の技術が根付き、藩の財政回復にも貢献したといわれています。また、鷹山公は寒さ厳しいこの地で、農作物が不作の時には食糧危機を救うこともでき、染色にも使うことができる胡桃、栗、梅、ざくろ、などの植林を積極的に行い、置賜紬の発展を促しました。

伝統工芸品

会津塗

漆器 | 福島県 | 知る

会津塗は漆器のひとつで、福島県の会津若松市や喜多方市を主な産地とし、椀、重箱、茶托(ちゃたく)、盆などに用いられています。 日本人が大切に考えるもののひとつに「縁起」というものがありますが、会津塗はまさにこの「縁起」の良い図案をモチーフにしていることが特徴として挙げられます。また、錆絵を使った渋みのある「鉄錆塗」、米のもみ殻をまいて模様を出す「金虫くい塗」、木目の美しい「木地呂塗(きじろぬり)」など、塗りの技法もふんだんに施されています。 室町時代にこの地方で力のあった一族が、漆の木を植えることを奨励したのが始まりと言われています。安土桃山時代の天正18年(1590年)には、豊臣秀吉の命を受けて会津の領主となった蒲生氏郷公が、近江から塗師(ぬりし)、生地師(きじし)、蒔絵師(まきえし)など多くの漆器職人を呼び寄せ、漆を使った工芸の養成と技術の進歩に取り組みました。以来、会津の漆器作りは一気に産業化されたのです。さらに京都から蒔絵技術を取り入れ、着実に発達しました。江戸時代には保科正之公が漆の木の保護育成に努めるなど、歴代藩主が技術革新に熱心に取り組み、江戸時代中期には中国、オランダなどへ輸出されるまでになりました。しかし、会津は幕末の戊辰戦争で焼け野原と化し、一時は産地としての力が弱まりましたが、後に復興を遂げ、現在に至っています。

伝統工芸品

宮城伝統こけし

人形 | 宮城県 | 知る

宮城県内には、「鳴子(なるこ)こけし」「作並(さくなみ)こけし」「遠刈田(とおがつた)こけし」「弥治郎(やじろう)こけし」「肘折(ひじおり)こけし」の5つの伝統こけしがあります。これらをまとめて宮城伝統こけしと呼び、国の伝統的工芸品に指定されています。宮城伝統こけしの特徴は頭部と胴体だけという、極めて簡略化された造形の美に加え、山村の自然に囲まれた素朴な作り手の心から生まれた清楚で可憐な姿です。 顔の特徴は、結い上げた前髪に、横の髪、一重の目と丸い鼻と、どこかで見たことのあるような、とても親しみを感じる素朴な顔をしています。胴は風車に見立てた車菊、菊を側面から見た重ね菊、かえで、なでしこ、牡丹など、美しい柄の着物を着ています。また、首をまわすと、キュッキュッと鳴き音を鳴らして遊べたのも鳴子こけしの大きな特徴です。

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