九州

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生活

博多どんたく港まつり

祭り | 福岡県 | みる | 参加する

「博多どんたく」の歴史は古く、820年以上前に始まった、わが国の古い民俗行事である「博多松ばやし」(国無形民俗文化財選択)がルーツと言われています。 明治時代まで黒田藩の城下町「福岡」と博多町人の町「博多」の交流の場として続き、正月15日に町衆が着飾って無礼講で賑やかに歌ったり、踊ったりする祝賀行事であったようです。 先頭に福神・恵比寿・大黒の三福神と稚児、その後ろに「通りもん」などからなっており、この誰でも参加できる「通りもん」が発展し、今では老若男女が思い思いの装いで三味線や太鼓、しゃもじを叩いて市内を練り歩く現在のスタイルになったものです。

場所

熊本城

城・城下町 | 熊本県 | 観光する

熊本城は日本三名城のひとつで、今から400年前の戦国時代に7年の歳月をかけて築城された天下の名城です。その構えは豪壮雄大で、城域は約98ヘクタール、周囲約5.3㎞と広く、当時は大小天守閣をはじめ、櫓(やぐら)49ヶ所、櫓門(やぐらもん)18ヶ所、その他城門29ヶ所を数え、実戦を想定した巨大要塞でした。熊本城の最大の特徴は自然の地形を利用した石垣で敵に対する備を考えた「武者返し」と言われています。上部に向かってのびていく曲線の美しさ「清正流石垣(きよまさりゅういしがき)」と呼ばれるほどです。 江戸時代から加藤家2代、細川家11代の居城として続いていましたが明治10(1877)年の西南の役では薩摩の大軍を迎えて、50余日のろう城に耐えたことで難攻不落の名城としての真価を多いに発揮しました。

大皿に盛られた料理の数々が円卓を囲んで食べられる。
食べ物

卓袱料理・卓子料理

郷土料理 | 長崎県 | 知る

卓袱料理は長崎県の郷土料理です。そのはじまりは、今から約300年以上前にさかのぼります。長崎と中国との接触は慶長5(1600)年に始まりましたが、寛永10(1633)年、徳川家光は、第一回の鎖国令を出し、寛永12(1635)年には中国貿易船も入港は長崎だけに限られました。元禄2(1689)年に唐人屋敷が造られ、それまで長崎市内に散宿していた中国人は現在の館内町の一区域に集まって住むことになります。中国人が長崎へ来て唐人屋敷に移り住むまでの間は、長崎の船宿と呼ばれる民家に自由に散宿していました。これを「町宿(マチヤド)」と呼び、中国人が初めて長崎に来てから唐人屋敷が造られるまでの約80年間は、長崎市民と最も親密な交歓があった時代です。この町宿での生活の中で、長崎市民は、中国人のご馳走、中国料理というものを知ることとなり、自然なかたちで長崎市民の家庭に広まったと言われています。

伝統工芸品

博多人形

人形 | 福岡県 | 知る

博多人形は「正調博多節(せいちょうはかたぶし)」にも歌われ、博多土産の代名詞としても全国にその名を知られています。また、結婚、お誕生、事務所開き、新築祝いなどに贈られるものとしても有名です。主な産地は福岡県福岡市、小郡市、筑紫野市、春日市、大野城市、太宰府市などで、地元で採れる粘土を原料に作られています。 博多人形を大別すると、美人もの、歌舞伎もの、能もの、風俗もの、道教や仏教の人物像、童もの、節句もの等があります。また最近では、キティちゃん人形、ダイエーホークス人形といったキャラクターものも作られ、人気を集めています。このように題材が型にはまらずバラエティに富んでいるのは、それぞれの人形師が独自の趣を表現する常日頃の研究によるもので、洋画、日本画、彫刻、伝統芸能の舞台、そして時の流行から学びとる芸術性への姿勢が、博多人形のモチーフとしてあらわれてくるのでしょう。素焼きに着色する落ち着いた感覚の美しさと、きめ細かい彫り込み等により、さまざまなモチーフを表現することができるところが博多人形の魅力と言えます。

別府竹細工

もの、こと | 大分県 | 北海道 | 参加する

別府竹細工は、日本有数の温泉地として名高い別府で作られる竹細工で、茶器、花器、盛籠、オシボリ入れ、銘々皿、マガジンラック、インテリア用品など、生活用具から芸術作品にいたるまで、主に地元大分県産の良質の「真竹」を用いて作られています。編みの技法は、「四つ目編み」「六つ目編み」「八つ目編み」「網代(あじろ)編み」「ござ目編み」「縄目(なわめ)編み」「菊底(きくぞこ)編み」「輪弧(りんこ)編み」などが基本となっており、さらにこれらの組み合わせで400種以上のパターンがあると言われています。また、塗装を施さない白竹や青竹製品と漆で仕上げる「漆塗り仕上げ」や「錆付け仕上げ」などがあります。別府の竹細工の歴史は日本書紀にもその記述が残っているほど古く、室町時代に行商用の籠を作って売り出したのが始まりとされています。江戸時代に、別府温泉が温泉地として発展してくると、温泉の客が滞在中に使う台所用品が作られるようになりました。そこから、これらの竹製品が別府温泉のおみやげとして人気を博し、別府周辺の地場産業となるまでに発展しました。明治後期に別府工業徒弟学校竹籃科が設立されると、他県からも多くの技術者が移住し、多くのすぐれた作家や技術者が出て、現在の別府竹細工の基礎が築かれました。こうして、明治・大正・昭和と別府温泉の隆盛とともに、竹細工も黄金期を迎え、職人たちは切磋琢磨し、技術を競い合い、優れた細工師が輩出されました。現在も別府では、大分県竹訓練支援センター竹芸科で、竹工芸の専門技術を学ぶことができます。

伝統工芸品

べっ甲細工

その他工芸品 | 東京都 | 長崎県 | 大阪府 | 知る

飴いろに光り輝く上品な豪華さ、海の宝石といわれるウミガメ「玳瑁(タイマイ)」の甲の部分を歴代の職人たちの創意工夫により見事な作品として昇華させたものが「鼈甲(べっこう)」という日本が誇る伝統工芸品です。その歴史ははるか秦の始皇帝の時代にまでさかのぼり、当時の王冠の装飾として使われていたほどの貴重なもので、その技術が300年ほど前、国際貿易の街長崎にわたってきたとされています。本来は「玳瑁細工」と呼ばれるべきこれらの作品が「べっ甲=すっぽんの甲」と呼ばれているのは、江戸時代贅沢な品々を禁止されていた時期に、商人たちが「これは絢爛豪華と言われる玳瑁の甲ではなく、品質が悪いべっ甲でございます」と言い訳して逃れていたことの名残とか。このことからも、当時は玳瑁細工を持つことができる人たちは、身分の高い人に限られており、私もいつかは玳瑁細工の品を持ちたいという憧れの品でした。それが身分制度が崩壊し、少しずつ一般の人たちも手に入れられる存在となり、今ではお土産品や贈答品とし高い評価を受けるに至ります。

伝統工芸品 スペシャル

小川ハタ店

その他工芸品 | 長崎県 | みる | 参加する | 買う

「ハタ」という言葉は、長崎では凧(たこ)のことを指します。風頭山山頂付近に今も長崎の伝統品であるハタづくり続けている人が「小川ハタ店」店主小川暁博さんです。店内に入ると天井から壁まで、到る所が小川さんが製作したハタで埋まっています。その形、色・絵柄とも様々で、その数は優に100を超えます。その鮮やかな色とりどりのハタを見ているだけでも十分楽しめますが、やはり凧は空にあがるもの。その性能も折り紙つきです。ハタ作りで最も大切なのは竹で組むその骨組とのこと。小川さんはハタに適した竹を見つけるために、自ら山を散策するとのことです。「ぴーんとまっすぐ天に向かって伸びていて、割ったときも歯切れよくまっすぐ割け、それでいて跳ね返って飛ぶほどの弾力がある竹と出会った時は最高の気分になります」と小川さんは語ってくれました。その竹を削り、左右対称にバランスよく組むことがとても難しく、経験と勘を要するとのことです。その骨組に様々な色の和紙を貼り合わせていきハタは作られます。

広い店内
伝統工芸品 スペシャル

江崎べっ甲店

その他工芸品 | 長崎県 | みる | 買う

長崎の地にべっ甲専門店は数多くありますが、その中でも1709年創業という最も長い歴史を誇るお店が「江崎べっ甲店」です。また、その歴史の中で数々の偉業を成しとけてきたことも確かな事実です。特に6代目江崎栄造は、水に泳いでいる美しい鯉の姿をべっ甲で表現しようと試行錯誤の末、べっ甲細工における新たなる境地を見出し、見事にその流れるような曲線を再現し、パリの万国博覧会でグランプリを獲得しました。また、宮内省御用達とされたうえ、べっ甲業界における最初で唯一の無形文化財として認定されたほどです。そのような輝かしい歴史を持つ江崎べっ甲店の店内には、べっ甲細工の足跡を見ることができる資料が飾られたスペースと、広い店内にお土産品として手ごろな価格で購入できる実用品から細工・技術をこらした美術品の域に達する作品まで、数多くの手作りの品々が並んでいます。また、店舗奥のスペースでは、江崎家の歴史を今も引き継ぐべっ甲職人が実際に制作している様子をガラス越しに見ることができます。

食べ物 スペシャル

富貴楼

郷土料理 | 長崎県 | 食べる・飲む | 楽しむ

長崎駅から車で5,6分行くと見えてくる小高い山の上に建つ純日本風の大きな建物が長崎の伝統料理である卓袱料理(しっぽくりょうり)を今も守り続ける料亭富貴楼です。その木造の建物は節目節目で改築こそ行われているものの、建築当初の姿そのままに堂々とした風格と長崎の歴史を十分に感じさせてくれます。そして正面の大通りから料亭につながる階段は、日本情緒とこれから始まる料理の宴の序章をじっくりと味あわせてくれ、贔屓にしてもらっているお年を召したお客さまの中にも、山を登り切ったところにある、入りやすい玄関があるにもかかわらず、あえてこの急な階段を上り、富貴楼に訪れる人も多くいるほどです。富貴楼の歴史は古く、1889年に時の内閣総理大臣である伊藤博文より庭に咲く牡丹の花の見事な様子を見て、当初の経営者であった内田トミの名から一文字取り「富貴楼」の名前を勧められたことより由来します。しかし、それ以前より千秋亭「吉田屋」と名乗り経営していた時期を考えると江戸時代まで遡り、その歴史は350年を超える長いものとなります。店内の個室は卓袱料理の特徴である見事な朱色の円卓が置かれ、仲間とともに料理・宴を楽しむ和やかな雰囲気と伝統を感じさせる重厚な豪華さとが共存した心地よい贅沢さを醸し出しています。またかつて床下に生簀が置かれそれを眺めながら海鮮の珍味を食す宴が連日開かれていたという100畳近い大広間は提灯が軒先に飾られ、今も昔も変わらない親しい友人達を楽しくもてなす雰囲気を見事に演出してくれることでしょう。天領であった長崎ならではのおもてなしの心、富貴楼でじっくり味わってみてはいかがでしょうか。

伝統工芸品 スペシャル

平戸洸祥団右ェ門窯

陶磁器 | 長崎県 | みる | 参加する | 買う

三川内にある窯の中でも最も山に近いところにある窯のひとつが平戸洸祥(ひらどこうしょう)窯。すぐ裏手にある小高い山は、かつて全盛を誇った登り窯の中でも、三川内の地で最後の登り窯の跡と言われています。そんな歴史を感じさせる風景の中、当初からの物語を語り続け、現在も三川内焼を守り続けているのが洸祥窯の店主18代目中里太陽さんです。洸祥窯の特色は地元でも有名な“かぶ”の絵柄のお皿や器。そこに描かれた生命力あふれるかぶの図柄は今もな確実に受け継がれています。そしてもうひとつ、大切にしていること、それは誰にとっても使いやすいデザインであるこということです。その中里さんの志(こころざし)は、海外からも高い評価を受け、ユニバーサルデザインの作品を展示する海外の常設展示場には、そんな中里さんの作品が展示されています。「私はユニバーサルデザインという言葉はあまり使いません。なぜならそう言われた瞬間、ハンディキャップをもつ人を意識して製作されたような作品に思われてしまうからです。ハンディキャップを持つ人はほかの人が使っている同じものを使いたいのです。ですから私が考えていることはただ誰もが使える、使いやすい作品を作ることだけです」中里さんはそう話してくれました。洸祥窯には、三川内焼の魅力をそのままに、使う人のことを徹底的に考え抜いた優しさあふれる作品が並んでいます。訪れた際にはぜひ手にとって、その作り手の思いを感じ取ってください。

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