京都府

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傘松公園
場所

天橋立

名所 | 京都府 | 観光する

京都府北部、日本海の宮津湾にある「天橋立(あまのはしだて)」は、陸奥の「松島」、安芸の「宮島」とともに、「日本三景」とされている特別名勝のひとつです。宮津湾に浮かぶ幅約20~170m、全長約3.6kmの砂嘴(さし)が、内海「阿蘇海」をつくっています。阿蘇海は智恩寺横の切戸文珠(きれどもんじゅ)と文珠水路(もんじゅすいろ)で、宮津の湾へと通じています。一般的には、この景観を展望する傘松公園も含めて、「天橋立」と呼ばれており、天に架かる浮橋のように見えることからその名が付けられたと言われています。天橋立は、平安時代より都人の憧憬の地で、和泉式部、小式部内侍らの和歌をはじめ、16世紀初頭の作とされる雪舟の「天橋立図」にいたるまで、多くの文芸、美術に描かれてきました。

伝統工芸品

京扇子

その他工芸品 | 京都府 | 知る

扇子は日本を象徴するもののひとつであり、日本人のこころに華やかさと安らぎを与えてきました。扇のはじまりとされる平安時代からそのほとんどが京都で生産されてきました。今も京都市や宇治市、亀岡市などが京扇子の産地として、招涼持ち扇(しょうりょうもちおうぎ)、儀式扇、芸事扇、飾り扇 など様々な扇子が作られています。京扇子ならではの技法として、扇面一面に極薄の金箔を一枚ずつ貼りつめていく、非常に高度な技術を要する「無地押し」というものがあります。扇は平安時代の日本、つまり京の都で生まれたと伝えられています。平安時代初期に使用されていた木簡(もっかん)という木の細く薄い桧板を何枚かつなげて、現在の扇の形にしたものが始まりで、これは薄いヒノキ板を重ね綴ったことから「桧扇(ひおうぎ)」と呼ばれ、最古の桧扇は元慶元年と記されている東寺の仏像の腕の中から発見されたものであると言われています。そこから形状が洗練され、宮中女子の間に広がるころには扇面は上絵で飾られた雅やかな身の回り品になりました。平安時代の間に、桧扇についで、竹や木を骨として、片面にだけ地紙を貼った「蝙蝠(かわほり)扇」という紙扇が登場しました。平安時代も末期になると、扇の骨に透彫(すかしぼり)をした「透扇(すかしおうぎ)」「切透扇(きりすかしおうぎ)」が生まれ扇子も多様化してきました。これらの扇子は招涼用というより貴族社会の地位のシンボルや礼式時の装飾物として、貴族や僧侶、神職たちによって用いられたもので、一般の使用は禁止されていました。冬扇・夏扇をはじめ、室町以降は香道・茶道・舞踊など様々な用途にあった扇子がつくられるようになりました。13世紀頃には中国、そしてインドを経てヨーロッパに伝えられ、ルイ王朝の社交界において西洋風の扇が生み出され、それが日本へ逆輸入され、「絹扇(きぬせん)」を生み出したと伝えられています。そして江戸時代になると庶民の日常生活に使われるようになりました。

伝統工芸品

京友禅

染色品 | 京都府 | 知る

日本の着物の代名詞になっているといっても過言ではない「京友禅」。気高く、ゆかしい京の美意識が映しだされるこの染色工芸は、着物としてはもちろんのこと、和服のコートや羽織としても使われています。京都市、宇治市、亀岡市などが主な産地となっています。染色技法は8世紀から伝わり、手描友禅は江戸時代に、もともと扇絵師として活躍していた京都の宮崎友禅斉が、自分の画風をデザインに取り入れ、模様染めの分野に生かしたことで「友禅染め」が生まれたと言われています。色数が多く絵画調の模様を着物に染める友禅染は、町人文化の栄えた江戸時代の中期に盛んに行われるようになり、明治時代には、型紙によって友禅模様を染める「写し友禅染め」が開発されました。京友禅の工程は非常に多く、なおそれぞれの工程において高い技術を要求されるため、下絵から完成まですべて手掛ける人は現在では少なくなっているのが現状です。そこに描かれる絵柄は本来日本画の技法が元となっていることから、「花鳥風月」といった自然をモチーフにしたものが多いのですが現在では着る人の感性が多様化していることから、抽象的な絵柄も見かけられるようになりました。

生活

祇園祭

祭り | 京都府 | 七月 | みる

祇園祭は京都の八坂神社のお祭りです。大阪の天神祭と東京の神田祭とともに日本三大祭りの一つです。およそ1100年の歴史を持ち厄病や災いを鎮めるためにおこなわれます。時期は7月、一ヶ月間の長期にわたって行われます。また祇園祭は飛騨の高山祭と秩父の夜祭と並んで、日本の美しいお祭り、三大美祭りとも言われています。それは旧家や老舗で保存されている文化財や美しい山鉾(重要有形民族文化財)が公道を巡るため、「動く美術館」とも言われているお祭りなのです。山・鉾は山車といわれ2ⅿもある車輪がついていて、総重量12tもある引き車です。鉾は屋根の上に長い槍のような武器を置いています。また山は屋根の上に松ノ木を載せております。この槍や松ノ木は雷を防ぐ避雷針と同じく、厄病を吸い込んでしまうものとして置かれているのです。更に、この祭りが行われる八坂神社の祇園祭は牛頭天皇(ゴズテンノウ)を祀るお祭りです。牛頭天皇とは日本の神話に登場する人物で、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)<頭が8つもあって人々を苦しめた怪獣>退治したスサノオノミコトという神様です。お祭りの最大の盛り上がりは7月17日に行われる山鉾32基の街中の引き回しです。中でも見せ場は「辻回し」といって大きく高い鉾を交差点で方向転換を図る場面です。車輪自体が構造上、方向転換が出来ないようになっています。そのため路面に青竹を敷き、更に水を掛けて滑りやすくしてその上に鉾をのせ、皆で勢いよく掛け声に合わせて、90度に方向転換を図るのです。このような大きな鉾の方向転換は大変な技術を要します。また7月13日~16日の前夜祭ともいえる「宵山」(ヨイヤマ)の期間中は、夕方になると提灯に灯りがともり、山鉾の上では「コンチキチン」の祇園囃子が演奏され、京都市内が情緒深い風景になります。京都の人にとっては、この祇園祭が終わると、本格的に夏の訪れを感じる夏の風物詩でもあります。

伝統工芸品 スペシャル

田畑染飾美術研究所

染色品 | 京都府 | みる | 買う

京都地下鉄丸太町駅から徒歩10分弱、東は京都御所、西は二条城という皇室と将軍家のおひざ元に友禅のすぐれた職人が集まっている場所があります。これは当時友禅というものが両家から愛され注文をもらっていたという歴史的な証でもあります。その場所の中心地に田畑染飾美術研究所があります。ここの代表者は5代目田畑喜八さん。国内はもとより海外でも友禅を知る人は誰もが知っているほど著名な方です。特に3代目田畑喜八は友禅の世界で初めて人間国宝として認められたほどの人物です。 「人の半歩前へ行け」それが田畑家の家訓であると5代目田畑喜八さんは語ってくれました。「着物とは常に着る人が主役でありその引き立て役にすぎない。だから着る人が袖を通してみたいと思ってもらえるような作品をつくる必要がある。そのためにはその時代の感性・美的感覚を敏感に感じ取りさらにその感性を導いていく心と力がなくては受け入れてもらえない。その歩みは遅すぎれば時代遅れになり速すぎれば人はついてこれないだろう。だから半歩前なんです。」

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