関東

11-20件目 / 31

伝統工芸品 スペシャル

森秀織物

織物 | 群馬県 | みる

森秀織物は明治10(1878)年に半農半工の形式で始まりました。当時は今のような力織機ではなく、手機足踏み等でした。その後初代の森島秀が力織機による御召の製織に成功し、以来機械化を進め、現在のような設備と方法になりました。昭和9(1934)年、天皇陛下群馬県下行幸の際、森秀織物謹製紋御召を御買上げの栄に浴しております。戦時中は織物、特に御召など高級織物の製造は極度に制限されましたが、森秀織物は御召製造技術保存工場に指定され、その技術を維持、戦後の復興に寄与致しました。また、昭和40(1965)年11月には、皇太子殿下、昭和50(1975)年6月には浩宮殿下、義宮殿下、高松宮殿下、秩父宮殿下の御来臨をいただいております。昭和56(1981)年5月に、「織物参考館<紫>」を設立し、桐生の歴史と織物文化を知る一つの窓口として運営しております。森秀織物の作品は、ショッピングサイトからもお買い求めいただけますので、ぜひご利用ください。

場所

鬼怒川温泉

温泉 | 栃木県 | 観光する

鬼怒川温泉(きぬがわおんせん)は、栃木県の中央を北から南に流れる雄大な鬼怒川の上流部(栃木県日光市)にあり、渓谷沿いに旅館・ホテルが立ち並んでいます。首都圏からのアクセスが便利なこともあって、東京の「奥座敷」と呼ばれ、関東の温泉地としては箱根と並んで有名です。 現在の「鬼怒川温泉」は、もともと「滝温泉」と呼ばれた鬼怒川西岸の温泉と、「藤原温泉」と呼ばれた東岸の温泉を合わせた地域を指しています。歴史的には、江戸時代に「滝温泉」が発見されたのがはじまりで、当時は日光の寺社領であったため、日光詣の僧侶や大名だけに利用が許されたと言われています。明治時代になって滝温泉が一般にも開放されるようになると、「藤原温泉」が発見されました。昭和2(1927)年に二つを合わせて鬼怒川温泉と呼ぶようになり、昭和4(1929)年の東武鉄道日光線開通とともに関東の一大温泉地として発展しました。

場所

川治温泉

温泉 | 栃木県 | 観光する

川治温泉は、鬼怒川と男鹿川が合流する峡谷にひらけた温泉郷です。新緑、紅葉が美しく、男鹿川の両岸に立ち並ぶ温泉旅館は静かで、昔ながらの古きよき温泉情緒もたっぷり感じられます。 川治温泉は江戸時代の享保8(1723)年に鬼怒川の上流である男鹿川が氾濫した際に偶然発見されたのがはじまりだと言われています。 江戸時代の江戸時代の享保8(1723)年におこった「享保の大地震」で男鹿川が堰き止められ五十里湖が出現し、その後大雨の影響で五十里湖が決壊、そのとき水が引いた川原の一部から湯気が上がりたくさんの蛇が身を寄せていたそうです。それが川治温泉の起源とされています。以降、会津西街道の宿場町として栄え、旅人や湯治の場として親しまれました。名前の由来は会津西街道の本道とは別に川沿いに通っていた道を「川路」と呼んでいたことから、現在は「川治温泉」になったとされています。

湯西川温泉 露天風呂
場所

湯西川温泉

温泉 | 栃木県 | 観光する

湯西川温泉は栃木県奥日光の大自然の山々に包まれた深山幽谷(しんざんゆうこく)の平家ゆかりの里にある温泉街です。昔ながらの民家や風情ある湯宿が立ち並び、ひっそりとした山里の風情と隠れ里の雰囲気を色濃く残した地です。 歴史的には1185年、源氏と平氏が戦った壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門がこの地に落ち延びて隠れ住んだという平家落人伝説が有名です。温泉地としては400余年の歴史があり、湧出量が豊富なことが特徴です。泉質はアルカリ単純泉で、やけど、切り傷、神経痛、筋肉痛に効用があり、美肌効果もあるといわれています。

湯畑
場所

草津温泉

温泉 | 群馬県 | 観光する

草津温泉は日本三名泉の一つとして広く知られ、自然湧出量としては日本一です。泉質は強酸性の硫黄泉で殺菌力が強く、慢性皮膚病や神経痛、筋肉痛などに効果があると言われています。また、江戸時代から伝わる草津だけの入浴法「時間湯」の始めには、高い温度の温泉を水も使わずに湯温を下げるために、長い板で湯をもむ、湯もみが行われています。その湯もみをする際に添え歌として歌われた歌が、いつしか草津節として全国的に知られるようになりました。町では豊富な湯量を利用して、草津町民のために18か所の共同浴場を設置、町民の生活のお風呂として利用されています。一般の方たちの利用も可能で人気を集めていますが、観光用ではないのでマナーを守り、つねに「もらい湯」の気持ちを忘れずに利用するようにしましょう。

場所

偕楽園

庭園 | 茨城県 | 観光する

偕楽園は国の特別名勝に指定され、金沢の兼六園、岡山の後楽園とならぶ「日本三名園」のひとつです。JR水戸駅を下車したバスで約20分。梅の時期(2月下旬から3月下旬)だけ、臨時駅として水戸偕楽駅が開設され下車のみできるようになります。偕楽園はまた、梅の公園として全国的に有名で、園の面積は139,000㎡で、この半分にあたるいったいが梅林になっており、現在は約100品種3000本の梅樹が植えられ、毎年2月下旬から3月下旬の開花時には、桜に似た大変美しい花が咲き誇り、梅の甘酸っぱい香りでどこか別世界に入り込んだようです。

大本堂
場所

成田山新勝寺

寺院 | 千葉県 | 観光する

成田山は1070年の歴史を持つ古い寺です。 成田山の門前町(表参道)も浅草の参道仲見世と同じく、参詣の楽しみの一つです。 JR成田駅前から成田山に至る商店街がメインの表参道で、京成成田駅前からは赤い欄干の開運橋を渡って表参道に合流します。ここには創業100年以上という貫録を見せる老舗が軒を連ね、随所に土蔵造りの漢方薬店、見上げるばかりの三階建て木造建築の大型旅館などが見られ、また表参道ばかりでなく、横の路地を入った裏参道にある新道や新々道を歩いてもおもしろい発見ができるでしょう。 また成田名物の羊羹、鉄砲漬、川魚の佃煮、地酒などおみやげショッピング、そして手焼きせんべいをパリパリやりながら歩き、またこってりとしたウナギの蒲焼きに舌鼓を打つのも門前町ならではの醍醐味です。

浅草寺
場所

浅草寺

寺院 | 東京都 | 観光する

浅草寺は、東京都内で最も古い寺で、正式には、「金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)」と言い、聖観世音菩薩(しょうかんぜおんぼさつ)をご本尊とすることから、「浅草観音(あさくさかんのん)」という名でも親しまれています。年間約3000万人が訪れると言われ、民衆信仰の中心地となっています。 総門(正門)は、「雷門(かみなりもん)」(もともと「風雷神門(ふうらいじんもん)」と呼ばれていた)門です。雷門とそこに吊られた大きな提灯は、浅草の顔であると同時に日本の顔として、海外の人にもよく知られています。この門は、942年、平公雅(たいらのきんまさ)によって創建されました。当初は伽藍守護のために風水害と火災からの除難の目的で風神・雷神という二つの神がまつられたとされていますが、さらには天下泰平や五穀豊穣の祈願もこめられるようになったと言われています。雷門は、慶応元(1865)年に火災で炎上しましたが、昭和35(1960)年に松下幸之助氏の寄進により現在の雷門が再建されました。

伝統工芸品

箱根寄木細工

木工品 | 神奈川県 | 知る

箱根寄木細工は、色合いの異なる50種類以上の天然の木を使って作られ、その製品は箱、引き出し、盆、皿、茶托、小箪笥、装身具として主に使用されています。現在、神奈川県の小田原市、足柄下郡箱根町で生産されています。 箱根寄木細工の特徴である矢羽根、三桝(みます)、乱寄木、ウロコ、剣花、紗綾形(さやがた)などの幾何学模様や茶や白や黒、黄や赤の色はすべて違う種類の木を組み合わせて表現されています。それは多種多様な木々を擁する箱根の山が生み出した、精緻な工芸品であり美術品というほかありません。 箱根寄木細工は江戸時代後期に箱根山の畑宿で始められたとされ、初めのうちは乱寄木や単位文様による寄木細工が主流だったと言われています。それが明治時代の初めに静岡方面の寄木技法が入ってきて、これが連続文様の小寄木として確立されました。箱根は、緻密な手工芸の技法によって広く知られる、国内では唯一の産地となっています。

場所

鹿島神宮

神社 | 茨城県 | 観光する

鹿島臨海鉄道の「鹿島神宮駅」に下車して、駅前の住宅地を抜け上り坂を登っていくと南側の高台に鹿島神社が見えてきます。坂を登りきったところから始まる参道には、お土産店などが軒を並べ訪れた人の目を楽しませてくれます。そして鳥居をくぐりいよいよ境内へと入っていくと、そこは巨木が立ち並び緑の葉が生い茂る神々しさに満ちた別世界が広がります。掃き清められた参道を木々の香りを楽しみながら進んでいくと拝殿・本殿が現れ、さらにその奥には1605年に徳川家康が建立した奥宮があります。 日本各地の神社にはその神社に昔から言い伝えられている伝説があることが多いのですが、ここ鹿島神宮にもとても興味深い伝説があります。奥宮から北に回ったところに小さな鳥居と柵で囲まれた石が祀られています。これは“要石(かなめいし)”と呼ばれるもので、地震を起こすと伝えれている大鯰(おおなまず)の頭をこの石が杭となって抑えているということです。そのおかげで鹿島神宮周辺では大きな地震が起きないと伝えれているのです。そしてこの石の根元を確かめようと、水戸光圀公(みとみつくにこう)という人が、七日七晩石の周りの土を掘ったのですが、掘れども掘れども翌日の朝には掘り返したはずの土が元に戻ってしまうというのです。さらにそれにたずさわった人たちが次々とけがに倒れてしまい、結局あきらめてしまったと伝えれれています。このことから要石は決して抜くことができないと言われているのです。

Copyright © 2007-2008 Wanoa Inc. All Rights Reserved.
(ワノア)は株式会社わのあの登録商標です。【登録第5115867号】