関東

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場所

六義園

庭園 | 東京都 | 観光する

六義園は東京ドームの1.9倍の広さと言われる広大な敷地に茶屋があり、しだれ桜、紅葉をはじめ季節の草花が楽しめる場所です。庭園の始まりは、元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、綱吉の側用人であった柳沢吉保が設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築きました。そしてその後、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられており、吉保の文学的造詣の深さを反映し、和歌の趣味を基調とした繊細で温和な日本庭園になっています。

茶筒 黒漆仕上げ 約100g入 52,500円
伝統工芸品 スペシャル

錫光

金工品 | 埼玉県 | みる | 買う

はるか昔より人々の実用品の素材として愛されてきた錫(すず)。日本には奈良時代の頃に茶壷とともに中国より入ってきたと言われています。 その技術を今も継承している関東では数少ない錫専門の工房「錫光(すずこう)」は埼玉県川口市の市街地より少し外れた閑静な住宅地の中にあります。この工房の代表は中村圭一さん。工房は20年程前に、中村さんの父である”中村光山(こうざん)”が師匠から独立して後に開いたとのことです。 錫を溶かし型に流し込む作業から、成形し絵付けまで一貫して手作業により製作することにこだわった錫光の作品は、金属という素材でありながら、人の手により作られた温かさがあります。

場所

清澄庭園

庭園 | 東京都 | 観光する

江東区清澄にある「清澄庭園」は、泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式築山山水庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。享保年間(1716~1736年)、下総国関宿の城主・久世大和守が下屋敷として、庭園の基を形づくったとされ、庭園の一部は、江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。 そして、明治11年には岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみました。その後、弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、池水は隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。

場所

小石川後楽園

庭園 | 東京都 | 観光する

東京ドームに隣接する「小石川後楽園」は花見や紅葉等、四季の移り変わりが楽しめ、都会の中でゆっくりとした時間を過ごせる空間です。 江戸時代初期、寛永6年(1629年)に水戸徳川家の祖である頼房が、大徳寺左兵衛に命じて江戸の中屋敷(後に上屋敷となる)の庭として造ったもので、二代藩主の光圀(みつくに)の代に完成しました。光圀は作庭に際し、明の儒学者である朱舜水の意見をとり入れ、中国の范仲淹が表した「岳陽楼記」の「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」の教えをもとに「後楽園」と名づけました。

場所

向島百花園

庭園 | 東京都 | 観光する

江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。仙台出身の骨とう商を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)によって開設され、交遊のあった江戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」を造り、開園しました。江戸の文化人をはじめ、明治へ時が移っても、幼少時代の昭和天皇、伊藤博文や乃木将軍など多くの人々に愛されてきました。 開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、ミヤギノハギ、筑波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花を鑑賞できる様にしました。「百花園」の名称は、一説では、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたと言われています。百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった美しさをもっています。

伝統工芸品

七宝

工芸品 | 東京都 | 愛知県 | 知る | 身につける

七宝とは金・銀・銅などの金属の上にガラスのような光沢を放つ色つきの釉薬を落とし、高温で焼いて作られたものを言います。これは古代から続いている技術で、中近東からシルクロードを超えて紀元後7世紀前後に、日本にもたらされたとされており、奈良県の牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)から出土した亀甲型七宝金具が最も古いとされています。。また、その装飾の美しさから仏教典で「七種の宝石」、つまり金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、鉅亟(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)にたとえられていることが由来となっているという説もあります。

錫光「アイスペール」
伝統工芸品

錫器

金工品 | 埼玉県 | 大阪府 | 知る

はるか昔から使われていたとされる錫(すず)。日本に伝わったのは1000年以上前とされています。当初、大気中の湿気を寄せ付けない材質のため、茶壷として重宝され使われていました。その後酒器などに使われるようになっていったといわれています。現在では茶壷に代わって茶筒となり、また酒器はビアグラス・ワイングラスやロックグラスなどに代わっています。 錫器を作る錫師の技術は非常に卓越しており、茶筒などは外気の湿気から守るため、ミリ単位を超える細かい技術が要求されます。特筆すべきは蓋を本体の先に載せると、その重みのみで“すーっ”と表面を滑るようにゆっくりと降りてきて、ピタッと蓋が閉まるようすです。

ギャラリー
伝統工芸品 スペシャル

銀泉 いづみけん

金工品 | 東京都 | みる | 買う

江戸情緒を残す町として、海外からも沢山の観光客が集まる、浅草。有名な雷門から徒歩12、3分、秋葉原とつくばを結ぶ、つくばエクスプレスの浅草駅で下車すれば徒歩3分のひさご通り北側に「銀泉 いづみけん」のギャラリーと工房があります。ギャラリーの中に入ると、まず、浅草の喧騒を忘れてしまう程の落ち着きと、やすらぎの空間が広がっている事に驚きます。そして、「ギャラリー全てが作品」という店主泉さんの言葉通り、泉さんの豊かな感性があふれた作品の全てが、それぞれの特等席に座っている様に、照明や配置の細部にまでも気を配った、泉さんの作品に対する思いやお客様への心遣いを存分に感じる場所になっています。

場所

浜離宮恩賜庭園

庭園 | 東京都 | 観光する

高層ビルが立ち並ぶ汐留のビル街の一角に、緑に囲まれた閑静なたたずまいを見せるのが、江戸時代の大名が作らせた、日本を代表する庭園である「浜離宮(はまりきゅう)」です。 歴史を紐解くと、江戸時代の4代将軍家綱の弟である松平綱重が、この地に屋敷を建築することが許されたことが始まりで、その息子である家宣が6代将軍になったことをきっかけに、将軍の御殿となり、当時は「浜御殿(はまごてん)と呼ばれていたとのことです。その後子孫代々に渡り、増改築を繰り返しながら今の姿になりました。江戸幕府が滅びてからは、皇室の離宮となり、名前も今の「浜離宮」と命名されたのです。

伝統工芸品

桐生織

織物 | 群馬県 | 知る

桐生織は国が認める伝統的工芸品の一つで、「西の西陣・東の桐生」と評されるほどの、絹織物の代表的な存在です。桐生織の着物は、落ち着いた風合いで長く着ることができる作品が多く、またしっかりとした作りは着る人に安心感を与えてくれます。桐生織の帯も特に有名で、独特の製法によりはっきりと現れる華やかな文様が和服を着る多くの人たちに愛されています。 桐生織の歴史は1300年ほど前まで遡ると言われています。かつては仁田山紬(にたやまつむぎ)と呼ばれていた桐生織を一躍全国的に有名にした出来事が1600年の関ヶ原の戦いです。このとき、徳川方(新田義貞)より依頼された旗絹を2410疋(ひき)をたった一晩で織り上げ、さらにそれを掲げた徳川軍が戦争に勝ったことで、縁起のいい品として、その名を更に不動のものとしました。その後海外から入ってきたジャガードなどの技術を積極的に取り入れ、現在では国内はもとより海外にも向けて積極的に展開をしており、日本国内において、桐生織の故郷桐生市は、ファッション最先端の街として全国的に有名です。

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