中国

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萩城跡
場所

萩城跡・萩城城下町

城・城下町 | 山口県 | 観光する

1600年の関ヶ原の戦いに敗れた毛利輝元は、中国8か国から防長2か国に滅封され、萩に城を築くことを許されました。慶長9(1604)年に工事に着手し、4年後の慶長13(1608)年に萩城が完成しました。萩城は日本海へそそぐ橋本川と松本川にはさまれ、日本海に張り出した指月山の詰の丸(実際は二の丸と本丸)と、その山麓に梯郭式に本丸・二の丸・三の丸を配し三重の堀を巡らした平山城で、別名「指月城(しづきじょう)」とも呼ばれています。 以後代を重ねること13代、敬親に至って幕末の多端な国事の処理が不便なため、文久3(1863)年4月に藩府を山口に移しました。明治7(1874)年には、前年に発布された廃城令により、櫓など他の建物とともにすべてが解体され、現在残っているのは石垣と堀の一部だけで、指月公園(しづきこうえん)として整備され、観光名所となっています。

場所

錦帯橋

名所 | 山口県

錦帯橋は岩国市にあり、山口県最大の河川である錦川(川幅200m)に架けられたアーチ形の5連の木造橋で、東京の「日本橋」、長崎の「眼鏡橋」と並んで、日本の「三名橋」と称されています。 延宝元(1673)年、第三代岩国藩主であった吉川広嘉(きっかわひろよし)によって、現在の橋の原型となる木造橋が架けられました。岩国藩の悲願である流れない橋として誕生したこの橋は、創建翌年の延宝2(1674)年5月、梅雨の洪水であえなく流出してしまいましたが、原因を徹底的に究明し、改良を加えて同年10月末に二代目錦帯橋が再建されました。この二代目錦帯橋は276年間不落を誇りましたが、昭和25(1950)年9月にキジア台風の洪水によって、二度目の流失となってしまいました。流失後、市民の強い要望により、昭和28(1953)年に橋脚に近代工法を取り入れるなどして三代目錦帯橋が再建されました。以来、半世紀にわたって人々を渡し続けてきた錦帯橋ですが、木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、平成13 年(2002)からは50年ぶりの「平成の架替」が行われ、現在の錦帯橋は平成16(2004)年3月20日に完成しました。木造部分の掛け替えは、旧錦帯橋でも江戸時代からほぼ橋大工の代替わりで行われていた定期的な伝統事業でもあります。

場所

岩国城

城・城下町 | 山口県

岩国城は、吉川広家(きっかわひろいえ)によって1608年に作られた山城で、眼下を流れる錦川を天然の外堀にし、標高約200メートルの城山山頂に位置していました。城山の尾根沿いに長さ180メートル、横に108~54メートル、石垣の高さ5.4メートル、天守閣は桃山風の南蛮造りと言われ、四層五階で本丸の北隅にそびえており、この外に矢倉五棟、折り回し大門二門、埋門一門、井戸二堀があったとされています。 山上の城である「横山城」と、麓の居館である「土居」からなり、江戸時代初期は岩国藩の居城となり、廃城後は土居が陣屋として存続しました。城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、特徴的な景観を作り出しています。城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備されました。

展覧会出品作品の陳列棚
伝統工芸品 スペシャル

日枝玉峯堂

文具 | 山口県 | 買う

山口県の空の玄関口、宇部空港のある宇部市。その山間部に江戸期より赤間硯の原石を採石し、製作・販売をしている小さな集落があります。古くは集落の大半が硯関係の仕事をしていましたが、現在では三軒のみとなりました。その中の一軒が「日枝玉峯堂」です。当店では三代目 玉峯とその長男 陽一が、硯石の採石から製作、販売までを一貫して行なっています。まず採石ですが、当店所有の採石場(坑道)を持ち、硯に最も適しているとされる地下10メートルから25メートルの間の、良質な石層のみを採掘しています。次に製作ですが、赤間硯の定番形体から、中国や朝鮮半島の古典的な硯、日本伝統工芸展などの公募展出品作品や現代感覚の硯まで、一点一点昔ながらの手仕事で行なっています。最後に販売ですが、工房隣りの自宅の一室で展示・販売を行なっています。公募展受賞作品や入選作品は常に展示していますが、お客様の望まれる実用硯や彫刻硯は常に展示・販売しているとは限りません。その理由は、硯は固形墨を磨る場所と墨液を溜める場所があれば形体は自由ですから、硯の種類は無限であるということと、手彫り・手磨き・漆仕上げのために、完成までに時間(約二週間)が掛かるからです。したがって当店の商品はほぼ受注生産のため、他店で見ることはまず無いでしょう。是非ご来店いただき、お客様の満足できる硯をご提案ください。必ずご期待に沿える一点を製作いたします。

竹文硯
伝統工芸品

赤間硯

文具 | 山口県 | 知る

日本の硯の三大産地の一つ、山口県宇部市西万倉(やまぐちけんうべしにしまぐら)で採石され、同市及び下関市で製作されている硯は、赤間硯(あかますずり)と言い、国の伝統的工芸品に指定されています。 赤間硯の歴史は古く、現存する最古の赤間硯として、建久二(1191)年に源頼朝によって神奈川県鎌倉市(かながわけんかまくらし)の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)に奉納されたものがあります。江戸時代前期には採石・製作・販売のすべてを下関市(赤間関)で行われていましたが、採石方法である坑内掘り(たぬき掘り)の限界から、江戸時代後期には宇部市西万倉周辺で採石が始まると、次第に採石・一般書道用硯の製作は宇部市西万倉周辺、販売・文様彫刻などを施した細工硯の製作は下関市で行われるようになりました。毛利氏が藩を治めていた時代には、良質の原石が採れる山は御止山(おとめやま)として一般には入山を禁じられ、参勤交代の贈り物等として硯が必要になると、藩主の命令によって採石されました。このように、赤間硯は長州藩の名産として貴重なものであるとともに、藩を代表する産業でした。明治時代になると、書道が広く一般に普及したため、赤間硯の需要も高く、もっとも盛んに作られていました。

伝統工芸品

勝山竹細工

竹工品 | 岡山県 | 知る

勝山竹細工は岡山市内から車でおよそ2時間、岡山県の北部に位置する勝山町を産地とし、その技術は、どこの農家にもある米を運ぶかごである「みぞうけ」「大ぞうけ」「米揚籠」、「飯籠」などの竹籠をつくるのに利用されています。これらはどれも実用性が高く、お米などの穀物はもちろんのこと、野菜入れとして、また土砂を運ぶ際の土木作業用としても重宝されています。その他にも民芸品の「末広」や「どじょう籠」「びく」、また日用品として「くず籠」「パン籠」「盛り籠」、そして茶室によく似合う「花器」など、さまざまなデザインのものが時代のニーズに合わせて作られています。

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